80年代の女子プロレス黄金期を彩ったクラッシュギャルズの二人は本当に不仲だったのか、多くのファンがその真相を知りたがっていることでしょう。かつて社会現象まで巻き起こした最強タッグの関係性には、実は想像以上に複雑で深い人間ドラマが隠されていました。
そこで今回は、ライオネス飛鳥と長与千種の若い頃から解散に至る経緯、そして現在の関係まで、二人の軌跡を詳しく紐解いていきます。成功の陰にあった葛藤や確執、そして時を経て実現した和解の物語は、きっとあなたの心に深く響くはずです。
輝かしい若い頃のクラッシュギャルズ時代
- 運命的な出会いと結成秘話
- 社会現象となった人気の絶頂期
- 二人の対照的な魅力と役割
運命的な出会いと結成秘話
1980年に全日本女子プロレスに同期入団したライオネス飛鳥と長与千種は、最初から親友だったわけではありませんでした。むしろ二人とも、先輩レスラーとの軋轢や自身のファイトスタイルが受け入れられない現実に悩み、引退を考えていた時期に意気投合したという共通の苦悩がありました。
1983年8月、「最後に自分たちの理想を実現しよう」という気持ちで結成されたクラッシュギャルズは、従来の女子プロレスにはなかった男子プロレスのエッセンスを取り入れた革新的なスタイルを確立しました。空手殺法を取り入れた激しいファイトと息の合ったコンビネーションは、まさに新時代の幕開けを告げる衝撃的なものでした。
年齢が一つ上の飛鳥にとって長与は可愛い妹のような存在で、誕生日には毎年プレゼントを贈るほど親密な関係を築いていました。リング外でも寮で夜遅くまで語り合う二人の姿は、女の友情を超えた特別な絆で結ばれているように見えました。
社会現象となった人気の絶頂期
1984年8月にリリースしたデビューシングル「炎の聖書」は約20万枚の大ヒットを記録し、プロレスの枠を超えたアイドル的存在として女子中高生を熱狂させました。年間310試合という過酷なスケジュールをこなしながら、テレビ中継は週3回、最高視聴率18%という驚異的な数字を叩き出しました。
極悪同盟との壮絶な抗争は、単なるプロレスの試合を超えた感動のドラマとして多くの人々の心を掴みました。特にダンプ松本との「髪切りマッチ」などの過激な試合は、流血も辞さない本気の戦いとして伝説となりました。
解散までの5年間でシングル8枚、アルバム7枚をリリースし、歌手としても第一線で活躍した二人は、まさに時代の寵児でした。しかし、この華やかな成功の裏側で、二人の関係には少しずつ亀裂が生じ始めていたのです。
二人の対照的な魅力と役割
長与千種の天才的なレスリングセンスと華のあるキャラクターは、対戦相手の実力以上の力を引き出す魔法のような能力として評価されていました。歌唱力も抜群でトークも達者な長与は、いつしか女子プロレス界の中心的存在として君臨するようになりました。
一方のライオネス飛鳥は、入団テストトップの成績で入門したエリートレスラーとして、技術的には申し分ない実力を持っていました。しかし会社から「技術は優れているが観客を魅了する要素に欠ける」という評価に苦しみ、人気面では次第に長与との差が開いていくことになりました。
タッグとしての完璧なコンビネーションを見せながらも、ファンからの声援は明らかに長与に偏っており、飛鳥は複雑な心境を抱えていました。この人気の格差は、後に二人の関係を決定的に変える要因となっていきました。
解散に至った複雑な理由と背景
- 深まる嫉妬と劣等感の連鎖
- 決定的な亀裂となった引退宣言
- 会社の思惑と個人の意地の狭間で
深まる嫉妬と劣等感の連鎖
クラッシュギャルズの人気が頂点に達する中、ライオネス飛鳥の心には長与千種への嫉妬と劣等感が日増しに募っていきました。プロレスだけでなく、歌やトークなどあらゆる面で長与が脚光を浴びる様子を見て、飛鳥は「置いて行かれた」という孤独感に苛まれていました。
給与面でも年間300万円もの格差があったことを後に知った飛鳥は、自分がいかに軽んじられていたかを痛感することになりました。しかし当時はその事実を知らなかったため、ただ漠然とした不公平感と悔しさだけが心の中で膨らんでいきました。
1986年頃、ついに飛鳥は「プロレスに専念したい」として一方的に芸能活動の休止を宣言し、事実上クラッシュギャルズの活動は一時停止状態となりました。この突然の決断は長与にとって寝耳に水で、二人の間にはほとんど会話もなくなる冷え切った期間が続きました。
決定的な亀裂となった引退宣言
1989年、全日本女子プロレスの経営陣は人気が下降傾向にあると判断し、「さよならクラッシュギャルズ」と銘打った解散興行で最後の一儲けを企んでいました。会長から「来年からポスターを小さくする」「解散試合が最後の稼ぎ時」と告げられた長与は、強い反発と絶望を感じました。
クラッシュギャルズを会社の都合で消滅させることを許せなかった長与は、苦渋の決断として一人で引退することを選びました。「好きな人がいて結婚を考えている」という理由を表向きに掲げ、1989年5月に飛鳥への相談もなく突然の引退を発表しました。
取り残された飛鳥は「なぜ相談してくれなかったのか」という怒りと、「一人にされた」という深い悲しみに打ちひしがれました。その3か月後の8月、飛鳥も後を追うように引退し、6年間のクラッシュギャルズの歴史は完全に幕を閉じました。
会社の思惑と個人の意地の狭間で
全日本女子プロレスには25歳定年制という不文律があり、二人とも年齢的な限界が近づいていたことも解散の背景にありました。会社としては新しいスター候補を育成する必要があり、クラッシュギャルズの時代を終わらせる算段を立てていました。
しかし長与にとってクラッシュギャルズは単なるビジネスではなく、自分たちが血と汗と涙で築き上げた魂の結晶でした。会社に都合よく利用されて捨てられることへの怒りが、あえて一人で引退するという極端な選択につながりました。
飛鳥もまた、長与への複雑な感情を抱えながらも、クラッシュギャルズへの愛着と誇りは人一倍強く持っていました。二人の想いがすれ違い、会社の思惑に翻弄された結果、悲劇的な形での解散となってしまったのです。
和解から現在に至る二人の関係
- 25年越しの涙の和解
- 新たな形で続く友情と活動
- それぞれの道を歩む現在の姿
25年越しの涙の和解
2014年11月28日、TBS系「爆報!THEフライデー」への出演が、25年間続いた二人の確執に終止符を打つきっかけとなりました。番組の企画で後楽園ホールで再会した二人は、初めて本音で語り合う機会を得ました。
飛鳥は「千種に対する嫉妬と劣等感があった」「一人で引退した千種を恨んでいた」と長年の胸の内を吐露しました。これに対し長与も「ずっとごめんねと思っていた」と、飛鳥を置いて引退したことへの後悔の念を明かしました。
お互いの本当の気持ちを知った二人は、誤解と意地の張り合いで失った時間の長さに涙を流しました。この和解によって、ようやく二人は本当の意味で「生涯のパートナー」としての絆を取り戻すことができました。
新たな形で続く友情と活動
和解後の二人は「お互い独身を貫いたら一緒に理想の生活を送ろう」と冗談を言い合えるほど、昔のような親密な関係を取り戻しました。食事を共にしたり、お互いの活動を応援し合ったりと、成熟した大人の友情を育んでいます。
2023年10月1日には「クラッシュギャルズ結成40周年記念イベント」を横浜武道館で開催し、18年ぶりにタッグを復活させました。Netflixドラマ「極悪女王」の出演者たちと共に「炎の聖書」を熱唱する姿は、時を超えた友情の証でした。
飛鳥は「これ一回きりで終わらせずまたやりたい」と宣言し、今後もクラッシュギャルズとしての活動に意欲を示しています。二人の関係は、かつての競争や嫉妬を超えて、互いを認め合い支え合う真の友情へと昇華しました。
それぞれの道を歩む現在の姿
長与千種は現在も現役として活動を続け、2016年に立ち上げた団体「Marvelous」の代表として後進の育成に情熱を注いでいます。「一生プロレスに携わり新しいレスラーを生み出していく」という決意は、還暦を迎えた今も揺るぎません。
ライオネス飛鳥は2005年の完全引退後、銀座でスナック「gangs」を経営しながら、タレント活動も精力的に行っています。両膝の人工関節手術を乗り越え、週1回のトレーニングを欠かさず続ける姿勢は、プロレスラー時代と変わらぬ強い精神力を物語っています。
別々の道を歩みながらも、二人は「千種が頑張っているから自分も頑張らないと」「飛鳥がいたからクラッシュギャルズになれた」と互いへの感謝と尊敬の念を忘れません。時間と経験が二人に教えてくれたのは、真の友情とは競争ではなく、共に成長し続けることだったのかもしれません。
ライオネス飛鳥と長与千種についてのまとめ
クラッシュギャルズの不仲説は単なる噂ではなく、実際に25年間続いた確執という事実がありました。しかしその根底にあったのは、お互いへの深い愛情と、プロレスへの純粋な情熱だったことが時を経て明らかになりました。
この記事の要点を復習しましょう。
- 1983年に結成されたクラッシュギャルズは80年代女子プロレスの黄金期を築いた
- 人気の偏りから飛鳥が長与への嫉妬と劣等感を抱き、関係が悪化した
- 1989年に長与が突然引退し、翌年飛鳥も引退してタッグは解散した
- 解散の背景には会社の思惑への反発という複雑な事情があった
- 2014年にテレビ番組で25年ぶりの和解を果たした
- 現在は良好な関係を築き、それぞれの道で活躍を続けている
二人の物語は、成功の陰にある葛藤や嫉妬という人間らしい感情と、時間をかけて築かれる本物の友情の尊さを教えてくれます。ライオネス飛鳥と長与千種の軌跡は、これからも多くの人々に勇気と希望を与え続けることでしょう。