1980年代の女子プロレス界を席巻した極悪のヒール、ダンプ松本さんについて気になっている方も多いのではないでしょうか。「日本で一番殺したい人間」とまで呼ばれながらも、現在はその愛らしいキャラクターで愛されているダンプ松本さんの過去について知りたいという声が多く聞かれます。
そこで今回は、ダンプ松本さんの学歴や壮絶だった若い頃のエピソード、結婚相手について、そして現在の活動まで詳しくご紹介します。Netflix「極悪女王」で再び注目を集めているダンプ松本さんの人生を振り返り、その魅力に迫っていきましょう。
ダンプ松本の学歴と生い立ち
- ダンプ松本の基本プロフィールと出身地
- 中学時代の部活動と青春時代
- 大宮開成高等学校での高校生活
ダンプ松本の基本プロフィールと出身地
ダンプ松本さんは1960年11月11日に埼玉県熊谷市で生まれ、本名を松本香(まつもと かおる)といいます。身長164cm、体重100kg、血液型B型で、現在もえりオフィスに所属しながら活動を続けています。
熊谷市で生まれ育ったダンプ松本さんですが、幼少期から父親の問題行動に悩まされる家庭環境で過ごしました。父親は仕事をすぐに辞めてしまい、DVや女性問題、金銭問題を抱えており、家計は主に母親の内職で支えられていたのです。
このような厳しい家庭環境が、後にダンプ松本さんが「母親を守りたい」という強い思いを抱くきっかけとなりました。熊谷市という地元への愛着は現在も強く、引退試合も地元の熊谷市体育館で行われたほどです。
中学時代の部活動と青春時代
ダンプ松本さんの出身中学については詳しい記録は残されていませんが、熊谷市内の中学校に通っていたことが分かっています。中学時代は非常にスポーツ万能で、バスケットボール部と水泳部の両方に所属していました。
この時期からすでに運動神経の良さを発揮していたダンプ松本さんは、後のプロレスラーとしての基礎体力をこの頃から培っていたといえるでしょう。中学2年生の時には、テレビで女子プロレスの中継を見て「強くなってお父さんをやっつけて、お母さんを守ってあげたい」と考えるようになります。
また、この頃から芸能界への憧れも抱いており、日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」に出場したこともありました。有楽町の読売ホールで「ずうとるび」の曲を歌いましたが、残念ながら不合格に終わっています。
大宮開成高等学校での高校生活
高校は私立の大宮開成高等学校に進学したダンプ松本さんは、当初は新設されるプールで水泳部に入ろうと考えていました。しかし、入学後にプール建設が中止になり、代わりに体育館が新設されるという想定外の事態に直面します。
水泳への道が断たれたダンプ松本さんでしたが、今度はアーチェリー部に入部し、高校1年生と2年生の時に補欠ながらインターハイに出場するという快挙を成し遂げました。アーチェリーでの全国大会出場経験は、集中力と精神力を鍛える貴重な機会となったのです。
高校時代はビューティーペアの熱狂的なファンとなり、同級生5人と親衛隊を結成して応援に通い詰めました。観戦費用を稼ぐために毎朝4時に起きて牛乳配達のアルバイトをするほどの情熱ぶりで、松永会長に「お前ら、また来たのか!」と呆れられるほど通ったのです。
ダンプ松本の若い頃とプロレス時代
- プロレスラーデビューまでの道のり
- 極悪同盟結成と悪役レスラーとしての活躍
- クラッシュギャルズとの激闘と社会現象
プロレスラーデビューまでの道のり
1979年4月、高校卒業を控えたダンプ松本さんは全日本女子プロレスのオーディションに合格し、憧れの女子プロレス界への第一歩を踏み出しました。就職を1週間後に控えたギリギリのタイミングでの合格でしたが、デビューまでには約1年半という長い練習生時代を過ごすことになります。
練習生時代は想像を絶する厳しさで、先輩の指示で道場に飾られた亀の甲羅を背負って這いずり回ったり、地方巡業中に移動バスの座席に座ることも許されず長時間立ち通しだったりと、壮絶なしごきを受けました。おもちゃのお金を渡されて買い出しに行かされたり、ドライブインで故意に置き去りにされてバスを走って追いかけるなど、理不尽な扱いに耐え続けたのです。
1980年8月8日、田園コロシアム大会の新国純子戦でついに本名の松本香としてプロデビューを果たしました。当初はベビーフェイス(善玉)でのデビューが予定されていましたが、ダンプ松本さん自身が「太っていたからヒールの方が似合っている」と判断し、自らヒール軍団への道を選んだのです。
極悪同盟結成と悪役レスラーとしての活躍
1984年の年明けに松本香からダンプ松本へとリングネームを変更し、クレーン・ユウと共にヒールユニット「極悪同盟」を結成しました。「ダンプ」という名前は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来しています。
金髪に奇抜なペイント、革ジャンを着て竹刀やチェーンなどの凶器を振り回すスタイルで、当時爆発的人気を誇っていたクラッシュギャルズの対抗馬として名乗りを上げました。KISSのコープス・ペイントを参考にしたメイクは、笑うとえくぼが出てしまう可愛らしい童顔を隠すために施していたという意外な理由があったのです。
極悪レフェリーの阿部四郎と結託して反則攻撃を黙認してもらったり、クラッシュギャルズに対する超高速フォールカウントなど、徹底的なヒールファイトを展開しました。その結果、「日本で一番殺したい人間」という異名まで付けられ、実家への嫌がらせや街中での罵声、タクシーの乗車拒否など、凄まじいまでの嫌われぶりを体験することになったのです。
クラッシュギャルズとの激闘と社会現象
クラッシュギャルズとの抗争は日本中を熱狂させ、女子プロレスを一大社会現象へと押し上げました。特に長与千種さんとの2度にわたる「敗者髪切りデスマッチ」は伝説として語り継がれ、1985年8月の大阪城ホールでの試合では試合終了後に暴動状態となり、500〜600人のファンが極悪同盟の選手バスを取り囲んで揺らすという事態まで発展しました。
リング上では容赦ない凶器攻撃を繰り広げていたダンプ松本さんでしたが、実はクラッシュギャルズの2人とは同期であり、特にライオネス飛鳥さんとは新人時代からルームメイトだった親友同士でした。しかし、当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場で懇意にすることは厳禁だったため、引退まで一切口を利かないという徹底ぶりを見せたのです。
ピーク時の1試合当たりのギャラは3万5千円で、タイトル戦に勝利すると100〜200万円を手にし、平均月収は100万〜300万円でした。芸能活動も並行して行うようになると月収500万円の時もあり、全盛期には年収5000〜6000万円という高収入を得ていましたが、母親のための家購入後は後輩の面倒を見たりパチンコに散財したりして、ほとんど使い切ってしまったといいます。
ダンプ松本の結婚相手と現在の活動
- 結婚歴と独身を貫く理由
- 現在のプロレス活動と芸能活動
- Netflix「極悪女王」効果と今後の展望
結婚歴と独身を貫く理由
ダンプ松本さんは2024年現在も独身で、これまでに一度も結婚したことがありません。2023年4月1日に自身のブログで「結婚します。老後のために…よりそいながら過ごしたいなって」と投稿して話題になりましたが、これはエイプリルフールのジョークだったことが判明しています。
独身を貫く理由の一つとして、幼少期から父親の問題行動を目の当たりにしてきたことが大きく影響していると考えられます。父親は働きもせず酒・女・ギャンブルに溺れ、愛人との間に子供まで作り、その子供にもダンプ松本さんと同じ「香」という字を付けるなど、家族を軽視する行動を続けていました。
ダンプ松本さん自身も「結婚して幸せになった家庭を見たことがない」として結婚願望を持ったことが一度もないとインタビューで語っており、「結婚して親に孫は見せられなかったけど、それでも家族と一緒にいることが幸せ」と表現しています。現在は妹さんがマネージャーを兼任しながら身の回りの世話をしており、家族の絆を大切にしながら生活しているのです。
現在のプロレス活動と芸能活動
ダンプ松本さんは1988年に一度引退しましたが、2003年に「本物のヒールを復活させる」ために現役復帰を果たし、2024年現在も63歳にして現役プロレスラーとして活動を続けています。生涯現役を目指すその情熱は衰えることがなく、自主興行「極悪血祭り」を新宿FACEで不定期開催して多くのファンを魅了しています。
現在は様々なプロレス団体の試合に出場しており、マーベラスを主戦場としつつ、後輩の堀田祐美子さん率いる「堀田暴走軍」にも参加するなど、女子プロレス界の活性化に貢献しています。近年はボディプレスをフィニッシュムーブにも取り入れ、年齢を感じさせないファイトを見せ続けているのです。
芸能活動においても、テレビ番組への出演やラジオ出演、書籍の出版など幅広い分野で活躍しており、2024年にはテレビ東京「デカ盛りハンター」やフジテレビ「突然ですが占ってもいいですか?」など多数の番組に出演しています。現在も極悪支部というファングループが全国各地に点在し、当時とは異なり「ファンサービスも喜んで応じます」として、親しみやすいキャラクターで愛され続けているのです。
Netflix「極悪女王」効果と今後の展望
2024年9月19日にNetflixで配信が開始された「極悪女王」は、ダンプ松本さんが松本香からダンプ松本となり、1度目の引退をするまでの半生を描いた作品として大きな話題となりました。主演のゆりやんレトリィバァさんの熱演もあり大ヒットとなり、ダンプ松本さんの知名度向上と女子プロレス界の再注目につながっています。
この「極悪女王」効果により、ダンプ松本さんは様々なプロレス団体の試合に出場する機会が増え、プロレス界全体の活性化に貢献しています。若い世代にもダンプ松本さんの存在が広く知られるようになり、女子プロレスの歴史を知る貴重な機会を提供することができているのです。
ダンプ松本さんは現在も精力的に活動を続けており、プロレスラーとしてのリング活動、タレントとしての芸能活動、そして女子プロレス界の発展への貢献など、多方面で存在感を示しています。63歳という年齢を感じさせない活動ぶりで、これからも多くの人々に感動と勇気を与え続けていくことでしょう。
ダンプ松本についてのまとめ
ダンプ松本さんの波乱万丈な人生は、苦しい家庭環境から始まり、女子プロレス界での大成功、そして現在の充実した活動まで、多くの人に感動を与える物語でした。Netflix「極悪女王」により再び注目を集める中、その真の人間性と魅力が多くの人に伝わっています。
この記事の要点を復習しましょう。
- 埼玉県熊谷市出身で大宮開成高等学校卒業、中学時代からスポーツ万能だった
- 1980年にプロデビューし、1984年に極悪同盟を結成してヒールレスラーとして大活躍
- クラッシュギャルズとの抗争で女子プロレスを一大社会現象に押し上げた
- 現在も独身を貫いており、家族との絆を大切にしている
- 63歳の現在も現役プロレスラーとして活動を続けている
- Netflix「極悪女王」効果で再び注目を集め、女子プロレス界の活性化に貢献している
ダンプ松本さんの生き方は、困難な状況でも諦めずに自分の道を貫く強さと、家族愛の大切さを教えてくれます。これからも彼女の活躍から目が離せませんね。