あの輝かしいステージで「YOUNG MAN」を歌い踊っていた西城秀樹さんが、2018年5月16日にこの世を去ってから、すでに数年が経ちました。しかし今でも、彼の最期の日々について「本当は何があったのか」と疑問を持っている方は少なくないはずです。
そこで今回は、西城秀樹さんの最後のテレビ出演がいつで、どのような状態だったのか、そして急性心不全という死因の背景にあった長年の闘病生活、さらには遺族に残された遺産の真相について、詳しくお伝えします。この記事を読めば、昭和を代表するスターが最後まで貫いたプロ意識と、家族への深い愛情を知ることができるでしょう。
西城秀樹の最後のテレビ出演の全記録
- 2018年4月の足利市でのコンサート出演
- 練馬での紅白歌合戦観覧が最後の公の姿
- 最期まで見せたプロ魂と明るい笑顔
2018年4月の足利市でのコンサート出演
西城秀樹さんが公の場で最後に歌ったのは、2018年4月14日に栃木県足利市で開催された「同窓会コンサート2018 in足利」でした。このイベントには、共演者のあべ静江さんなど複数の出演者が参加していました。
当時、西城さんは脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺が残り、杖なしでは歩行が困難な状態でしたが、それでもステージに立つことを選びました。共演したあべ静江さんは後のインタビューで、当日の西城さんについて「非常にお元気で、これからどんどん良くなっていくんだと思っていた」と語り、衰えを感じさせなかったことを明かしています。
このコンサートで西城さんが見せたパフォーマンスは、まさにプロの歌手そのものでした。体の不自由さを抱えながらも、結果的にこれが西城秀樹としての最後の歌唱となったのです。
練馬での紅白歌合戦観覧が最後の公の姿
足利でのコンサートから5日後の4月19日、西城さんは東京都練馬区の練馬文化センターを訪れていました。この日開催されていたのは、日本歌手協会主催の「第23回 紅白歌合戦」で、西城さんは知人の出演を応援するため、プライベートで観覧に訪れていたのです。
会場の最後方の席に座っていた西城さんに気づいた総合司会の合田道人さんが、急遽インタビューを敢行しました。紹介されると、西城さんは自ら立ち上がって観客にアピールし、11月開催予定の歌謡祭への出演を打診されると「はい、ぜひ」と前向きな返事をしたといいます。
あべ静江さんによれば、この日も西城さんは「気持ちのいい日だから、リハビリのつもりで来た」と明るく話していたそうです。しかし、誰もがこの日の西城さんの笑顔を見て、これが最後の公の姿になるとは想像もしていませんでした。
最期まで見せたプロ魂と明るい笑顔
西城秀樹さんの最後のテレビ出演に関する記録を見ると、一貫して浮かび上がってくるのは「プロ意識の高さ」と「前向きな姿勢」です。体が不自由になっても、病と闘いながらも、ステージに立ち、歌を届けることを諦めなかった彼の姿勢には、多くの人が感銘を受けました。
実は西城さんは、2017年の暮れ頃には歩行にも支障が出ていたことが、後に妻の木本美紀さんの著書で明かされています。それでも2018年4月まで、改善することを信じて真面目にリハビリメニューに臨み、実際にステージに立ち続けたのです。
この強さの源泉は、ファンへの愛情と、歌手としての誇りだったのではないでしょうか。西城さんの最後のテレビ出演は、彼が生涯をかけて体現した「エンターテイナー魂」の証明だったと言えるでしょう。
西城秀樹の死因とその背景
- 急性心不全に至るまでの経緯
- 長年闘った糖尿病と脳梗塞の実態
- 隠されていた多系統萎縮症という難病
急性心不全に至るまでの経緯
2018年4月25日、練馬での最後の公の姿からわずか6日後、西城秀樹さんは自宅で夕食中に突然倒れました。体が痙攣した後に心停止状態となり、救急搬送されましたが、約40分間も心臓が止まっていたのです。
救命処置により心臓は再び動き出したものの、医師からは脳死の可能性が高く「持って1週間」との説明を受けました。しかし西城さんは深い昏睡状態のまま3週間も闘い続け、2018年5月16日午後11時53分、横浜市内の昭和大学藤が丘病院で急性心不全のため息を引き取りました。
享年63歳という若さでの突然の訃報に、日本中が衝撃を受けました。わずか11日前まで元気にステージに立っていた姿を知る人々にとって、この急変はあまりにも信じがたいものだったのです。
長年闘った糖尿病と脳梗塞の実態
西城さんの死因である急性心不全の背景には、実は20年以上にわたる壮絶な闘病生活がありました。妻の美紀さんが2018年11月に出版した著書『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』で、その全貌が初めて明かされたのです。
西城さんは1996年頃に糖尿病の診断を受け、以降インスリン投与を続けていました。そして脳梗塞については、世間では2回の発症として知られていましたが、実際には結婚直後の2001年を含め、「隠れ脳梗塞」を合わせると計8回も発症していたことが判明しています。
特に2003年の韓国での発症と2011年の再発は大きく報道されましたが、その間にも小さな脳梗塞を繰り返していたのです。それでもステージに立ち続けた西城さんの姿からは、病と共に生きる人々への大きな勇気のメッセージが感じられます。
隠されていた多系統萎縮症という難病
さらに衝撃的だったのは、2014年の暮れ頃に「多系統萎縮症」という難病の診断を受けていた事実です。これは神経細胞が少しずつ失われていく進行性の病気で、西城さんと妻、そしてマネージャーの間だけで伏せられていました。
2014年頃から病状は徐々に進行し、転倒しやすくなり、言語の出にくさも顕著になっていきました。しかし西城さんは、病状が公になることでファンを心配させたくないという思いから、最後まで明るい笑顔を見せ続けたのです。
この事実を知ると、2018年4月のコンサート出演がどれほど大変なことだったかが想像できます。西城秀樹という人物の凄さは、単に歌がうまいということではなく、どんな状況でも人々に夢を与え続けようとした、その揺るぎない精神にあったのではないでしょうか。
西城秀樹が遺族に残した遺産
- 公表されている財産と資産状況
- 楽曲の版権という永続的な収入源
- お金では測れない家族への遺産
公表されている財産と資産状況
西城秀樹さんが遺族に残した遺産について、具体的な金額は公表されていません。ただし、公になっている資産としては、神奈川県横浜市内の自宅があり、これは西城さんが30代の頃に建てた家であるとされています。
西城さんは1970年代から80年代にかけて絶頂期を迎え、当時は高額な出演料を得ていたと言われています。また1983年には独立して「アースコーポレーション」を設立し、法人格で収入を受け取るようになったため、個人の納税記録には表れていないものの、実際には相当な収入があったと推測されます。
一方で、晩年は長い闘病生活により先端治療に多額の医療費がかかっていたことも伝えられています。そのため、全盛期に比べれば資産は減っていた可能性がありますが、それでも家族が生活に困らない程度の財産は残されたと考えられます。
楽曲の版権という永続的な収入源
西城秀樹さんが遺族に残した最も価値ある遺産は、実は楽曲の版権かもしれません。「YOUNG MAN」「ギャランドゥ」「傷だらけのローラ」など、時代を超えて愛される名曲の数々は、今でもテレビやCMで使用され続けています。
西城さん自身は作詞作曲をしていないため、歌唱部分の印税に限られますが、それでも楽曲が使用されるたびに一定の収入が発生します。現在でもリマスター版のCDやDVDが販売され、コンサート映像が放送されるなど、西城秀樹の歌は商業的価値を持ち続けているのです。
死後もファンクラブが継続し、追悼番組や特集が組まれ続けていることからも、その人気の根強さがわかります。これらの版権収入は、遺族にとって安定した収入源となっており、まさに「歌の遺産」として次世代に受け継がれているのです。
お金では測れない家族への遺産
しかし、西城秀樹さんが家族に残した最も大きな遺産は、お金や版権では測れないものだったのではないでしょうか。それは、どんな困難にも立ち向かう強さ、プロとしての誇り、そして家族への深い愛情です。
妻の美紀さんは著書の中で、西城さんが病と闘いながらも、常に家族を第一に考え、子どもたちに愛情を注いでいたことを綴っています。長女の莉子さん、長男の慎之介さん、次男の悠天さんという3人の子どもたちは、父親の生き様から、人生で本当に大切なものは何かを学んだことでしょう。
実際、長男の慎之介さんは父の足跡を追うように、芸能界入りを目指して活動を始めています。西城秀樹という偉大な父が遺したものは、単なる財産ではなく、生き方そのものであり、それこそが最も価値ある遺産だったと言えるのではないでしょうか。
西城秀樹の最期についてのまとめ
西城秀樹さんの最後のテレビ出演から急逝まで、そして遺族に残された遺産について見てきました。昭和を代表するスターの最期の日々には、プロとしての矜持と、家族への深い愛が詰まっていたことがわかります。
この記事の要点を復習しましょう。
- 最後のテレビ出演は2018年4月14日の足利市コンサートで、4月19日の練馬での観覧が最後の公の姿となった
- 死因は急性心不全だが、背景には糖尿病、脳梗塞8回、多系統萎縮症という長年の闘病があった
- 遺産の具体的金額は不明だが、楽曲の版権が遺族に永続的な収入をもたらしている
- 西城さんは病を隠してでもステージに立ち続け、最後までプロ意識を貫いた
- 最大の遺産は、お金ではなく家族に示した生き方そのものだった
- 長男の慎之介さんが芸能界入りを目指すなど、父の影響は次世代にも受け継がれている
西城秀樹さんの生き様は、病と闘う多くの人々に勇気を与え続けています。彼が残した歌声と共に、諦めない心、家族を思う気持ち、そしてプロとしての誇りが、これからも多くの人の心に生き続けることでしょう。

