あべ静江が脳梗塞を発症した経緯と闘病生活・現在の様子

突然の体調不良に襲われ、大切な人が病院に運ばれたらどうしようと、不安を感じたことはありませんか。特に脳梗塞は自覚症状が乏しいことも多く、気づいたときには手遅れになる危険性があるため、多くの方が心配されているかもしれません。

そこで今回は、歌手のあべ静江さんが2022年に経験した脳梗塞の発症から復帰までの道のりを詳しくご紹介します。彼女の体験から学べる早期発見の重要性や、前向きに病と向き合う姿勢は、あなたやあなたの大切な人を守るヒントになるはずです。

あべ静江が脳梗塞を発症した状況と初期症状

  • マネージャーが気づいた異変の詳細
  • 救急搬送に至った判断のプロセス
  • 診断結果と脳梗塞のタイプ

マネージャーが気づいた異変の詳細

2022年3月19日の朝、当時70歳だったあべ静江さんに異変が起きました。この日はテレビ番組の収録予定日でしたが、本人には体調不良の自覚が全くなかったといいます。

最初に異変を感じたのは、早朝に迎えに来たマネージャーでした。朝4時の目覚ましの電話に出なかったり、電話に出てもろれつが回っていない様子が見られ、いつもと違う雰囲気を察知したのです。

自宅に迎えに行くと、普段は笑顔で挨拶するあべさんがムッとした表情で無愛想だったことに、マネージャーはさらに違和感を覚えました。極めつけは、メイクでシェーディング用の茶色いファンデーションを顔全体に塗り始めたことで、この行動は明らかに異常だったと後に振り返られています。

救急搬送に至った判断のプロセス

マネージャーの機転が、あべさんの命を救ったといっても過言ではありません。スタジオに到着してからも様子がおかしいと感じたマネージャーは、すぐにかかりつけ医に電話で相談しました。

医師は症状を聞いただけで「脳梗塞の疑いがあるから、すぐに救急搬送した方がいい」と的確な判断を下しました。本番直前でしたが、番組プロデューサーも医師の電話を受けて即座に収録中止を決断し、救急車を呼ぶことになりました。

コロナ禍で病院が混乱していたため、搬送先が決まるまで約1時間を要したものの、無事に病院へ搬送されました。もし周囲の人々が「収録を終えてから病院へ行けばいい」と判断していたら、治療が遅れて後遺症が残った可能性もあったと、あべさん自身が後に語っています。

診断結果と脳梗塞のタイプ

病院での検査の結果、あべさんは「両側視床の脳梗塞」、つまり多発性脳梗塞と診断されました。脳の視床部という場所の動脈に血栓ができ、損傷を受けていたのです。

医師からは「記憶や情報処理をするところの一部に詰まりがあって、そこの神経細胞は戻りません」と告げられました。記憶が一部失われる可能性があると聞かされ、あべさんやスタッフは覚悟を決めたといいます。

実際、あべさん本人は発症前後の記憶がほとんどなく、入院生活のことも断片的にしか覚えていないと語っています。この記憶障害は脳梗塞の恐ろしさを物語っていますが、それでも比較的軽度だったことが不幸中の幸いでした。

入院中のリハビリ生活と驚異的な回復力

  • リハビリ専門病院での日々
  • 早期退院を実現した努力の内容
  • 看護師たちとの交流と心の支え

リハビリ専門病院での日々

発症から約1カ月後、あべさんはリハビリ専門の病院に転院しました。医師からは「最低6カ月は入院が必要」と言われましたが、あべさんは一刻も早く仕事に復帰したいという強い思いを抱いていました。

リハビリ病院では、毎日2回の言葉と体のリハビリが実施されました。あべさんは医師の指示以上に、自主的に病院内を歩いたり体操をしたりして、とにかく筋肉を落とさないことを第一に考えていたそうです。

外の散歩でも人一倍多く歩かせてもらうなど、積極的なリハビリ姿勢が功を奏し、日々頭もクリアになっていきました。この前向きな取り組みは、単に身体機能の回復だけでなく、精神面でも大きな力になったに違いありません。

早期退院を実現した努力の内容

あべさんの努力が実を結び、リハビリ病院への転院から約1カ月後の2022年5月10日に無事退院を果たしました。医師が推奨した6カ月の入院期間を大幅に短縮しての退院は、本人の強い意志と努力の賜物でした。

自力で歩くことも会話をすることも問題なくできるようになり、食事もしっかりとれるまでに回復していました。後遺症もなく、比較的軽い脳梗塞だったとはいえ、この回復スピードは驚異的だと周囲を驚かせました。

あべさん自身は「筋肉を落とさないことを考えて動き続けた」とシンプルに語っていますが、その背景には芸能生活で培った自己管理能力があったのでしょう。また、ファンや仲間たちに早く元気な姿を見せたいという思いが、回復への強いモチベーションになっていたことも想像できます。

看護師たちとの交流と心の支え

入院生活において、あべさんは看護師たちに大いに支えられたと振り返っています。一人暮らしのあべさんにとって、入院中は孤独を感じやすい環境だったかもしれませんが、看護師たちとの温かい交流が心の支えになりました。

看護師たちの献身的なケアと励ましの言葉が、あべさんの前向きな気持ちを保つ助けになったといいます。医療従事者との良好な関係は、患者の回復に大きく影響することを、あべさんの体験は教えてくれています。

病気をしたことで、身近な仲間をより大事にしたいと思うようになったとあべさんは語ります。この経験は、人とのつながりの大切さを再認識するきっかけとなり、その後の人生観にも影響を与えたようです。

退院後の仕事復帰と現在の活動状況

  • 退院直後のステージ復帰
  • 健康管理への新たな取り組み
  • 精力的な活動と前向きな人生観

退院直後のステージ復帰

驚くべきことに、あべさんは退院翌日の5月11日にはFMラジオ番組の収録に参加し、仕事復帰を果たしました。そして退院から1週間後の5月16日には、東京のかつしかシンフォニーヒルズで開催された日本歌手協会のコンサートに出演しました。

このステージでは代表曲「みずいろの手紙」を歌唱し、涙を浮かべながらもしっかりと歌い上げました。今まで通り歌えるか不安もあったそうですが、ファンや仲間たちの温かい拍手が、あべさんの不安を吹き飛ばしてくれたに違いありません。

この早期復帰には賛否両論もあったかもしれませんが、あべさんにとっては歌うことそのものがリハビリでもあったのでしょう。ステージに立つことで、自分が本当に回復したという実感を得られたとともに、生きる喜びを改めて感じられたのではないでしょうか。

健康管理への新たな取り組み

脳梗塞を経験したあべさんは、2022年を「健康元年」と位置づけ、生活習慣を見直しました。一人暮らしであることから、食事には特に気を使うようになり、栄養バランスを考えた鍋料理を楽しんでいるそうです。

また、古希を機に少林寺拳法を習い始めたというエピソードも注目に値します。70歳を過ぎてから新しい武道に挑戦するという姿勢は、年齢を理由に諦めない強い意志の表れであり、多くの同世代の人々に勇気を与えています。

日常生活では、できるだけ歩くことを心がけ、体を動かすことを習慣化しているといいます。これらの健康管理への取り組みは、再発防止のためだけでなく、より豊かな人生を送るための積極的な選択だと感じられます。

精力的な活動と前向きな人生観

現在73歳のあべさんは、東海ラジオと八王子FMでパーソナリティを務めるなど、ラジオ番組をメインに精力的に活動を続けています。また、YouTubeチャンネル「しーチャンネル」の運営や、全国各地でのコンサート司会など、幅広い分野で活躍しています。

一般社団法人日本歌手協会の理事として後進の育成にも尽力し、故郷三重県の松阪市ブランド大使やみえの国観光大使も務めています。さらに、講演活動では脳梗塞からの復帰体験を語り、「人生楽しく生きなきゃ損!」というメッセージを伝えています。

あべさんは「再発を恐れる時間があるなら、もっと人生を楽しもう」と語り、前向きな人生観を貫いています。この姿勢は、病気を経験したからこそ得られた境地であり、「起きてしまったことは仕方ない、とりあえず前を向いて進む」という彼女の生き方そのものを表しています。

あべ静江の脳梗塞についてのまとめ

あべ静江さんの脳梗塞からの復帰は、早期発見と前向きな闘病姿勢の重要性を教えてくれました。自覚症状がなくても、周囲の人が異変に気づくことで命が救われるという事実は、私たちにとって大きな教訓となります。

この記事の要点を復習しましょう。

  1. 2022年3月19日、あべさんは自覚症状がないまま脳梗塞を発症し、マネージャーの機転で救急搬送された
  2. 両側視床の多発性脳梗塞と診断され、記憶や情報処理を行う部分がダメージを受けた
  3. リハビリ専門病院で積極的にリハビリに取り組み、医師推奨の6カ月を大幅に短縮して1カ月で退院
  4. 退院翌日から仕事復帰し、1週間後にはステージで歌を披露した
  5. 「健康元年」として食事や運動に気を配り、古希を機に少林寺拳法も始めた
  6. 現在73歳でラジオパーソナリティや講演活動など精力的に活動を続けている

あべさんの体験は、病気と向き合う姿勢が回復に大きく影響することを示しています。「再発を恐れるより人生を楽しむ」という彼女の前向きな生き方は、年齢を重ねても輝き続けることの素晴らしさを私たちに教えてくれるのではないでしょうか。

参考リンク

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