メキシコのプロレス界で輝かしいキャリアを築いた覆面レスラー、マスカラ・マヒカ2世の名前を聞いたことはありますか。日本では北斗晶さんの元夫として知られていますが、その実力や経歴については意外と知られていないのが現状です。
そこで今回は、マスカラ・マヒカ2世の結婚歴や現在の活動状況について詳しく見ていきます。メキシコのプロレス文化と日本の接点、そして一人のレスラーの人生の軌跡を知ることで、あなたもきっと新しい発見があるはずです。
マスカラ・マヒカ2世の基本プロフィールとキャリア
- 本名と生い立ち
- 二代目としての重責
- 輝かしい選手時代の実績
本名と生い立ち
マスカラ・マヒカ2世の本名は、アントニオ・ゴメス・メディナといいます。1970年9月11日にメキシコのコロトランという町で生まれ、現在は54歳になります。
彼が生まれ育った環境は、まさにプロレス一家と呼ぶにふさわしいものでした。父親は1970年代から1980年代にかけて活躍した「エル・トロヤーノ」、叔父は「タリスマン」として知られるアルトゥーロ・ベリスタインで、幼い頃から身近にプロレスがある生活を送っていたのです。
このような環境で育ったアントニオが、自然とプロレスラーへの道を志したのは想像に難くありません。叔父のアルトゥーロから直接指導を受け、さらにメキシコ最古のプロレス団体EMLLのジムでディアブロ・ベラスコやリンゴ・メンドーサといった名トレーナーから技術を学び、着実に実力を磨いていきました。
二代目としての重責
1992年、アントニオの人生に大きな転機が訪れます。後にアメリカのWWEで大スターとなるエディ・ゲレロが、当時使用していた「マスカラ・マヒカ」というリングネームを捨ててEMLLを去ったのです。
団体側はこの人気のあるキャラクターを継承する人物を探しており、白羽の矢が立ったのが当時「タリスマン・ジュニア」として活動していたアントニオでした。偉大な先代の名前を受け継ぐというのは、想像を絶するプレッシャーだったに違いありません。
しかし、二代目マスカラ・マヒカとなったアントニオは、その期待に見事に応えていきます。先代とは異なる自分らしいスタイルを確立しながらも、マスカラ・マヒカというキャラクターに新たな魅力を吹き込んでいったのです。
輝かしい選手時代の実績
マスカラ・マヒカ2世としてのキャリアは、まさに栄光に満ちたものでした。1996年には16人トーナメントを勝ち抜き、5月21日にエル・フェリーノを破ってCMLL世界ウェルター級王座を獲得するという快挙を成し遂げます。
王座は一度失うものの1998年に奪還するなど、トップレスラーとしての地位を確固たるものにしていきました。また、2000年代初頭には「ロス・ヌエボ・インフェルナレス」というユニットに加わり、ウルティモ・ゲレーロやレイ・ブカネロといったスター選手と共に活躍しました。
特筆すべきは、2001年のCMLL68周年記念大会でのスティールケージマッチです。この試合で敗れたマスカラ・マヒカ2世は覆面を失うことになりましたが、これはメキシコのプロレス文化において極めて重要な意味を持つ出来事で、彼のキャリアにおける大きな転換点となったのです。
北斗晶との結婚と離婚の真相
- メキシコでの運命的な出会い
- わずか一年で終わった結婚生活
- 離婚後も続く良好な関係
メキシコでの運命的な出会い
1992年3月、日本の女子プロレスラー北斗晶さんは所属団体の意向でメキシコへのプロレス留学を決意します。スペイン語の知識もないまま、辞書すら持たずに飛び込んだ異国の地で、彼女は「レイナ・フブキ」というリングネームで覆面レスラーとして戦い始めました。
そこで出会ったのが、同じEMLLで活躍していたマスカラ・マヒカ2世でした。当時すでに人気レスラーだった彼と、言葉の壁を乗り越えて世界王者の座を獲得した北斗晶さんは、プロレスという共通言語を通じて自然と心を通わせていったのでしょう。
異国の地で必死に戦う北斗晶さんの姿は、マスカラ・マヒカ2世の心を強く惹きつけたに違いありません。互いにリングで命をかけて戦うプロレスラー同士だからこそ、言葉を超えた深い理解と尊敬があったのだと想像します。
わずか一年で終わった結婚生活
1993年、二人は結婚という決断をします。北斗晶さんの3歳年下だったマスカラ・マヒカ2世と共にメキシコで生活を始めましたが、この結婚生活は約1年という短い期間で終わりを迎えることになりました。
離婚の理由については、両者とも公表しておらず、詳細は明らかになっていません。異なる文化背景や言葉の問題、あるいは互いのキャリアとの両立の難しさなど、さまざまな要因が複雑に絡み合っていたのかもしれません。
国際結婚の難しさは、どれだけ互いを愛していても簡単には乗り越えられないものです。しかし、この経験が二人にとって無駄ではなかったことは、その後の彼らの人生が証明していると言えるでしょう。
離婚後も続く良好な関係
離婚から30年以上が経過した現在でも、北斗晶さんはメキシコを訪れることがあるようです。彼女のブログには「メキシコの家族」として紹介される人々の写真が掲載されており、元夫の関係者である可能性が指摘されています。
また、マスカラ・マヒカJr.を名乗る若手レスラーが存在し、彼が二人の息子ではないかという噂も一部で囁かれています。ただし、この点については確認されておらず、真相は不明のままです。
離婚後も良好な関係を維持できているとすれば、それは二人が互いを尊重し続けている証拠でしょう。結婚生活は短かったかもしれませんが、共にプロレスに人生を捧げた者同士としての絆は、今も消えていないのかもしれません。
現在の活動と年収について
- トレーナーとしての新たな人生
- 年収に関する情報の実態
- プロレスラーの収入事情
トレーナーとしての新たな人生
覆面を失い、徐々に現役としての出場機会が減っていったマスカラ・マヒカ2世は、新たな道を見出していきます。現在は出身地であるグアダラハラのアリーナ・コリセオで、主にトレーナーおよび興行プランナーとして活動しているのです。
彼の役割は、若手レスラーの育成だけでなく、会場の運営や試合の組み立てなど多岐にわたります。CMLLの支部長のような立場として、グアダラハラ地域のプロレス興行を支える重要な存在となっているのです。
現役時代に培った経験と人脈を活かし、次世代のスターを育てる仕事は、きっと充実したものでしょう。パートタイムながら今でもリングに上がることもあるようで、プロレスへの情熱は54歳になった今も衰えていないことがうかがえます。
年収に関する情報の実態
多くの方が気になるであろうマスカラ・マヒカ2世の年収ですが、残念ながら具体的な情報は公開されていません。プロレスラーの収入は一般的に非公開であることが多く、特にメキシコのプロレス界では選手の年収が表に出ることはほとんどないのです。
ただし、トレーナーや興行プランナーとしての役割を考えると、安定した収入は確保できていると推測されます。現役時代のような高額な出場料はないかもしれませんが、後進の指導や興行運営という重要な仕事に対する報酬があるはずです。
情報が公開されていないことについて、もどかしく感じる方もいるかもしれません。しかし、プライバシーを尊重するという観点から考えれば、これは当然のことだとも言えるでしょう。
プロレスラーの収入事情
一般的に、メキシコのプロレスラーの収入は日本やアメリカと比べると控えめだと言われています。トップレスラーでも年収は数百万円から1000万円程度とされ、多くの選手は複数の団体を掛け持ちしたり副業を持ったりしているのが実情です。
マスカラ・マヒカ2世の全盛期は、おそらくCMLL世界王者として活躍していた1990年代後半でしょう。当時は主要興行のメインイベンターとして高額な出場料を得ていたと考えられますが、現在はトレーナー業が収入の中心になっていると思われます。
しかし、お金だけでは測れない価値が彼の仕事にはあります。次世代のレスラーを育て、プロレス文化を継承していく役割は、金銭以上に大きな意義を持っているのではないでしょうか。
マスカラ・マヒカ2世についてのまとめ
マスカラ・マヒカ2世ことアントニオ・ゴメス・メディナは、メキシコのプロレス界で輝かしい実績を残した覆面レスラーです。エディ・ゲレロという偉大な先代の名を継承し、自らのスタイルでCMLL世界王者にまで登り詰めた彼の功績は、決して色褪せることはありません。
この記事の要点を復習しましょう。
- 1970年9月11日生まれで現在54歳、プロレス一家出身のレスラー
- 1992年に二代目マスカラ・マヒカとなり、CMLL世界ウェルター級王者に輝いた
- 1993年に北斗晶さんと結婚するも約1年で離婚、理由は非公開
- 2001年に覆面を失うも、その後も第一線で活躍を続けた
- 現在はグアダラハラでトレーナー兼興行プランナーとして活動中
- 年収は非公開だが、安定した収入を得ていると推測される
現役レスラーからトレーナーへと立場を変えながらも、プロレスと共に生きる人生を選んだマスカラ・マヒカ2世の姿には、学ぶべきものが多くあります。あなたも機会があれば、メキシコのプロレス文化に触れ、彼のような情熱を持った人々の世界を覗いてみてはいかがでしょうか。
