愛聴していたラジオドラマの登場人物が突然いなくなってしまったら、あなたはどう感じるでしょうか。長年親しんできたキャラクターの声が聴けなくなる寂しさは、計り知れないものがあります。
そこで今回は、人気ラジオドラマ『NISSAN あ、安部礼司』で矢田三郎役を演じていた志賀廣太郎氏が亡くなった理由について、詳しく解説していきます。志賀氏の死因やその背景にあった病状、そして彼が演じた役柄や俳優としての軌跡についてもご紹介しますので、ぜひ最後までお読みください。
志賀廣太郎氏の死因と闘病の経緯
- 誤嚥性肺炎により71歳で逝去
- 脳梗塞発症からリハビリの日々
- 闘病中も復帰を目指していた姿勢
誤嚥性肺炎により71歳で逝去
志賀廣太郎氏は2020年4月20日午後8時20分、誤嚥性肺炎のため神奈川県川崎市の病院で71歳の生涯を閉じました。訃報は葬儀を終えた4月30日に所属事務所から公表され、多くのファンや関係者に衝撃を与えたのです。
誤嚥性肺炎とは、食物や唾液が気管に入り込むことで引き起こされる肺の炎症です。高齢者や脳梗塞の後遺症を抱える方は嚥下機能が低下しており、この病気を発症しやすい傾向にあります。
特に志賀氏のケースでは、前年の脳梗塞による後遺症が大きく影響していたと考えられます。復帰を信じていたファンにとって、突然の訃報はあまりにも悲しい知らせとなりました。
脳梗塞発症からリハビリの日々
志賀氏は2019年4月5日から6日にかけて脳梗塞を発症し、緊急手術を受けて入院することとなりました。この体調不良により、出演予定だったドラマ『きのう何食べた?』や大河ドラマ『いだてん』を降板せざるを得なくなったのです。
脳梗塞を発症すると、嚥下に関わる神経が障害され、食べ物を飲み込む機能が低下することがあります。実際、脳梗塞患者の約30パーセントに嚥下障害が現れるとされており、誤嚥性肺炎のリスクが高まるのです。
当初、所属劇団の青年団から「命に別状なし」との報告があり、関係者は安堵しました。しかし、嚥下障害という見えにくい後遺症が、その後の闘病生活に大きな影を落としていたことは想像に難くありません。
闘病中も復帰を目指していた姿勢
所属事務所の発表によれば、志賀氏は2019年春の脳梗塞発症以降、復帰に向けて懸命にリハビリを続けていました。舞台やドラマへの復帰を諦めず、前向きに治療に取り組む姿勢は、志賀氏の真摯な人柄を物語っています。
リハビリの過程では、嚥下機能の回復訓練や口腔ケアなど、様々な取り組みが行われていたはずです。俳優として再び声を届けたいという強い思いが、彼を支えていたに違いありません。
しかし残念ながら、その願いが叶うことはありませんでした。それでも最後まで前を向いて闘い続けた志賀氏の姿勢は、多くの人々の心に深く刻まれています。
『安部礼司』での矢田三郎役について
- 人気ラジオドラマでの重要な役柄
- シーズン4から登場した経理担当リーダー
- 志賀氏の声の魅力が光る演技
人気ラジオドラマでの重要な役柄
『NISSAN あ、安部礼司 〜BEYOND THE AVERAGE〜』は、TOKYO FMで放送されている人気ラジオドラマです。2006年4月の放送開始以来、平均的なサラリーマンの日常を描いたコメディとして、多くのリスナーに愛されてきました。
物語の舞台は東京神田神保町にある中堅企業「大日本ジェネラル」で、主人公の安部礼司を中心に様々なキャラクターが登場します。その中で志賀氏が演じた矢田三郎は、会社の重要な役職を担う存在として描かれていました。
ラジオドラマという声だけで表現する媒体において、志賀氏の演技は際立っていました。長年培ってきた演技力と独特の声質が、矢田三郎というキャラクターに深みと説得力を与えていたのです。
シーズン4から登場した経理担当リーダー
矢田三郎は番組のシーズン4から登場したキャラクターで、開発本部マネージメントグループのリーダー兼開発本部経理担当という役柄でした。経理という専門性の高い立場を担いながら、組織をマネジメントする重要なポジションにいる人物として描かれています。
会社組織の中で経理担当者は、数字を扱う冷静さと判断力が求められる役職です。志賀氏は、そうした職業人としての堅実さと、ドラマならではの人間味を巧みに表現していました。
矢田三郎というキャラクターは、主人公の安部礼司を取り巻く職場の人々の一人として、物語に欠かせない存在でした。志賀氏の演技があったからこそ、このキャラクターは視聴者の記憶に残る魅力的な人物となったのです。
志賀氏の声の魅力が光る演技
志賀氏は大学時代に音声学を学んだ柴田武教授から「君の声はいい声だから大事にしなさい」と言われたほど、優れた声質の持ち主でした。その声は、ラジオドラマという音だけの世界で特に威力を発揮したといえるでしょう。
渋みがありながらも温かみのある声は、聴く者に安心感を与えます。また、長年の舞台経験で培われた発声技術と表現力が、ラジオドラマでの演技に深みを加えていました。
志賀氏の声には、言葉以上の何かを伝える力がありました。それは単なる技術ではなく、人生経験や人柄が自然ににじみ出る、まさに「声の演技」だったのです。
遅咲きの名脇役として活躍した足跡
- 40代で俳優の道を本格的に歩み始めた経歴
- 数々のヒット作品で印象的な演技を披露
- 温厚な人柄で多くの人に慕われた存在
40代で俳優の道を本格的に歩み始めた経歴
志賀氏は1948年8月31日に兵庫県で生まれ、桐朋学園大学短期大学部で演劇を学びました。卒業後は海外留学を経て母校で演劇講師を務めながら、40歳近くになって劇団「青年団」の舞台に魅せられ、1990年に初舞台を踏みました。
多くの俳優が若い頃にデビューする中、40代からキャリアを本格化させた志賀氏の歩みは異例といえます。しかし46歳の時にアップルコンピュータのCMに出演したことがきっかけでブレイクし、その後オファーが増えていきました。
遅咲きだからこそ、人生経験が演技に深みをもたらしたともいえるでしょう。教育者としての経験も、俳優としての表現の幅を広げる財産となったに違いありません。
数々のヒット作品で印象的な演技を披露
志賀氏は『THE3名様』で演じたパフェおやじ役が若者の間で話題となり、スピンオフ作品が制作されるほどの人気を博しました。その後も『アンフェア』『ハゲタカ』『半沢直樹』『陸王』といった話題のドラマで名脇役として活躍しました。
映画でも『川の底からこんにちは』『幕が上がる』『銀魂』など幅広い作品に出演し、どの役でも存在感を示しました。また、『三匹のおっさん』では北大路欣也や泉谷しげると共に主演を務め、シリーズ化されるほどの人気を得ています。
志賀氏の演技の特徴は、役を作り込まず自然体で演じることでした。その自然な佇まいが、視聴者に「本当にこういう人がいそうだ」と感じさせる説得力を生み出していたのです。
温厚な人柄で多くの人に慕われた存在
志賀氏の教え子である女優の南果歩氏は、恩師の訃報に際して「遅咲きの名優として活躍する姿を教え子たちは親しみを込めて見ていた」と追悼しました。また、演出家の宮本亞門氏は「最高の演技、その才能と温かさを一生忘れない」とコメントしています。
こうした証言からは、志賀氏が演技者として優れていただけでなく、人間として多くの人々に愛されていたことがわかります。教育者としての顔と俳優としての顔、その両方で後進や仲間に影響を与え続けていたのです。
現場での穏やかな振る舞いや、後輩への温かい眼差しは、多くの共演者の記憶に残っています。志賀氏は単なる名脇役ではなく、演劇界全体にとってかけがえのない存在だったといえるでしょう。
志賀廣太郎氏についてのまとめ
志賀廣太郎氏の突然の訃報は、ラジオドラマ『安部礼司』のファンのみならず、多くの人々に深い悲しみをもたらしました。彼が亡くなった理由である誤嚥性肺炎は、前年の脳梗塞による嚥下障害が大きく関係していたと考えられています。
この記事の要点を復習しましょう。
- 志賀氏は2020年4月20日に誤嚥性肺炎により71歳で逝去した
- 2019年4月に脳梗塞を発症し、復帰を目指してリハビリを続けていた
- 『安部礼司』では矢田三郎役を演じ、その声の魅力で多くのリスナーを魅了した
- 40代で俳優の道を本格化させた遅咲きの経歴を持つ
- 『半沢直樹』『陸王』など数々のヒット作品で名脇役として活躍した
- 温厚で誠実な人柄で、教え子や共演者から深く慕われていた
志賀氏が残した演技の数々は、今も映像や音声として私たちの元に残されています。彼の温かな声と自然体の演技は、これからも多くの人々の心に寄り添い続けることでしょう。
