2022年の年末、BSテレ東で放送された『このテープもってないですか?』は、多くの視聴者に強烈な印象を残したモキュメンタリー番組です。一見すると懐かしいテレビ番組を振り返る企画番組に見えますが、実は視聴者の予想を裏切る仕掛けが随所に散りばめられていました。
そこで今回は、この番組に込められた「逆転の発想」に焦点を当て、従来のテレビ番組の常識を覆した革新的な手法について詳しく考察していきます。番組の真の狙いを理解することで、現代のメディア表現における新たな可能性が見えてくるでしょう。
懐古番組という仮面を被った革新的な手法
- 過去番組への郷愁を利用した視聴者心理の操作術
- フェイクドキュメンタリーとしての精巧な作り込み
- 従来のバラエティ番組フォーマットの完全な破壊
過去番組への郷愁を利用した視聴者心理の操作術
番組の表向きのコンセプトは「テレビ局に残っていない貴重な過去番組の映像を視聴者から募集する」というものでした。このような企画は過去にNHKでも行われており、懐古的な番組として自然に受け入れられやすい構造になっています。
視聴者の多くは、いとうせいこうさんや井桁弘恵さんが昭和時代のテレビ番組『坂谷一郎のミッドナイトパラダイス』の映像を見ながらコメントする、ごく普通の振り返り番組だと思って視聴を始めたはずです。しかし、制作陣は視聴者のこの安心感を逆手に取り、徐々に不穏な要素を織り交ぜていく戦略を採用しました。
この手法の巧妙さは、視聴者が「過去の番組を見る」という受け身の体験から、いつの間にか「何かがおかしい」という能動的な疑問を抱くように誘導されている点にあります。番組が進行するにつれて、視聴者は『リング』の呪いのビデオのような恐怖を感じ始め、最終的には現実とフィクションの境界が曖昧になっていきます。
フェイクドキュメンタリーとしての精巧な作り込み
番組の制作には放送作家の竹村武司さんと怪談作家の梨さんが参加し、表の台本と裏のストーリーを同時進行で作り上げました。この二重構造こそが、番組の核心となる「逆転の発想」を支える重要な要素です。
制作陣は『坂谷一郎のミッドナイトパラダイス』の架空の番組ページをニコニコ大百科にまで作成し、番組の実在性を演出する徹底ぶりを見せました。さらに、TikTokやWikipediaにも関連情報を仕込むなど、テレビという枠を超えたメディアミックス戦略を展開しています。
この作り込みの深さは、単なる番組制作の範囲を超えて、現実世界にまで侵食する新しい表現形態を生み出しました。視聴者が番組の真偽を確かめるためにインターネットで検索しても、そこには巧妙に仕込まれた情報が待ち受けているという、まさに現代的なホラー体験が構築されています。
従来のバラエティ番組フォーマットの完全な破壊
大森時生プロデューサーは「構造でのだまし討ち」という表現を使い、お決まりの構造の中に別のニュアンスをそっと忍ばせる手法を実践しました。これは従来のテレビ番組が持つ安全な枠組みを利用しながら、その内部から番組自体を破壊していく革新的なアプローチです。
通常のバラエティ番組では、出演者が一定の役割を保ったまま番組が進行しますが、『このテープもってないですか?』では回を重ねるごとに出演者の言動が異常になっていきます。第三夜では、いとうせいこうさんも井桁弘恵さんも録画映像の影響を受けて意味不明なコメントを連発し、従来の番組司会者としての役割が完全に破綻しています。
この破綻こそが番組の真の目的であり、視聴者は安心して見ていたはずのバラエティ番組が崩壊していく過程を目撃することになります。これは『リング』の呪いのテープ的アプローチで、VTRから発せられた何かがMCたちに伝播し、現実のスタジオまで侵食してしまう演出として機能しています。
テレビメディアの限界を逆手に取った新表現
- アーカイブ保存問題を活用した設定の巧妙さ
- 生放送風演出によるリアリティの創出方法
- デジタル時代における新しいホラー表現の可能性
アーカイブ保存問題を活用した設定の巧妙さ
番組の企画自体が「テレビ局に昔のVTRが残っていない」ことを逆手に取ったものです。この設定は現実のテレビ業界が抱える問題を巧妙に利用したもので、視聴者に番組の信憑性を感じさせる重要な要素となっています。
実際に多くのテレビ局では、過去の番組映像が保存されていないケースが多数存在します。特にバラエティ番組の映像は破棄される傾向が強く、過去のニュース映像と比較して残存率が低いという現実があります。制作陣はこの業界の実情を番組設定に組み込むことで、架空の番組に現実味を持たせることに成功しています。
大森プロデューサーが「テレビがまだ時代の中にいられるのか、ただの一次元磁気なのか」と表現したように、番組自体がテレビメディアの存在意義を問いかける構造になっています。過去の番組が失われていく現状を逆手に取ることで、テレビというメディア自体の儚さや脆弱性を浮き彫りにする深層的なメッセージが込められています。
生放送風演出によるリアリティの創出方法
番組内で取り上げられる『坂谷一郎のミッドナイトパラダイス』は1980年代に放送された深夜の生放送番組という設定になっています。生放送という設定を採用することで、番組の粗さや違和感を自然に説明できる仕組みが構築されています。
生放送特有の緊張感や予期せぬハプニングは、視聴者にとって馴染み深い要素です。『坂谷一郎のミッドナイトパラダイス』では、司会者がタバコを吸ったり、セクハラ的な発言をしたりと、現代では考えられない内容が盛り込まれており、80年代の生放送番組らしさを演出しています。
この時代考証の巧妙さが、視聴者の疑念を巧みに逸らす効果を生んでいます。一部の視聴者からは「化粧や髪型が現代的すぎる」という指摘もありましたが、多くの視聴者は80年代の生放送番組の雰囲気に引き込まれ、番組の真偽を見極めることが困難になっています。
デジタル時代における新しいホラー表現の可能性
大森時生さんは旧態依然としたオールドメディアの縛りを逆手にとることで、新しいかたちのホラーを生み出しています。これは従来のホラー映画やドラマとは異なる、テレビというメディア特有の表現方法を確立した革新的な試みです。
番組の恐怖要素は映像や音響効果に頼るのではなく、視聴者の認知や記憶に働きかける心理的な仕掛けに重点が置かれています。視聴者は番組を見ながら「何かがおかしい」という違和感を抱き、それが徐々に確信に変わっていく過程で恐怖を体験します。
番組には「リング」や「呪怨」などのJホラーの要素が含まれており、ビデオテープを媒介とした呪いの伝播という古典的なモチーフが現代的に再解釈されています。これにより、デジタル時代においてもアナログなホラー体験が可能であることを証明し、新しいホラー表現の可能性を示しています。
現代社会への警鐘としての深層メッセージ
- 情報の真偽判定が困難な現代への批判的視点
- メディアリテラシーの重要性を問いかける構造
- 集合的記憶の曖昧さと操作可能性の暴露
情報の真偽判定が困難な現代への批判的視点
番組は表面的にはホラー要素を含んだエンターテイメントですが、その本質は現代の情報社会が抱える問題への鋭い指摘となっています。制作陣がWikipediaやニコニコ大百科にまで偽の情報を仕込んだ事実は、インターネット上の情報の信頼性に対する疑問を投げかけています。
視聴者が番組の真偽を確かめようとインターネットで検索しても、そこには巧妙に作り込まれた偽の情報が待ち受けています。この構造は、現代人が日常的に行っている「ネットで調べる」という行為の脆弱性を浮き彫りにする効果を持っています。
フェイクニュースやディープフェイクが社会問題となっている現代において、番組は娯楽の形を借りながら情報の真偽判定の困難さを体験させています。視聴者は番組を通じて、自分が普段どれだけ情報を無批判に受け入れているかを認識させられる仕組みになっています。
メディアリテラシーの重要性を問いかける構造
大森プロデューサーが実践した「XXのふりをして実はXXだった」という構造は、視聴者のメディアリテラシーを試す巧妙な仕掛けとして機能しています。番組を見る視聴者は、受動的な情報受容者から能動的な情報検証者へと立場を変えることを余儀なくされます。
番組の進行とともに、視聴者は「これは本当の番組なのか」という疑問を抱き始めます。この疑問を持った瞬間から、視聴者は番組を批判的に見る姿勢を身につけ、細部の矛盾点や不自然な要素を探し始めるようになります。
この体験は、日常生活において情報を受け取る際の姿勢にも影響を与える可能性があります。番組を通じて「一見もっともらしい情報でも疑ってかかる必要がある」という教訓を得た視聴者は、より健全なメディアリテラシーを身につけることができるでしょう。
集合的記憶の曖昧さと操作可能性の暴露
番組は過去の番組を扱うという設定を通じて、私たちの記憶がいかに曖昧で操作しやすいものであるかを示しています。多くの視聴者は『坂谷一郎のミッドナイトパラダイス』という番組名を聞いて「聞いたことがあるような、ないような」という曖昧な感覚を抱きます。
この曖昧さこそが、番組の仕掛けが機能する重要な要素です。実際に1980年代には類似した深夜番組が多数存在していたため、視聴者の記憶の中で架空の番組と実在の番組が混同されやすい状況が作り出されています。
集合的記憶の操作可能性は、歴史修正主義やプロパガンダといった社会問題とも密接に関連しています。番組は娯楽の形を借りながら、私たちが過去をどのように記憶し、その記憶がどれだけ不確実なものであるかを実感させる効果を持っています。
『このテープもってないですか』についてのまとめ
『このテープもってないですか?』は表面的には懐古的なバラエティ番組を装いながら、実は現代社会の様々な問題に切り込んだ革新的な作品です。大森時生プロデューサーの「逆転の発想」により、従来のテレビ番組の常識が完全に覆された画期的な番組として位置づけることができます。
この記事の要点を復習しましょう。
- 懐古番組という仮面を被りながら視聴者心理を巧妙に操作した革新的手法
- フェイクドキュメンタリーとして番組外のメディアまで作り込んだ精巧な演出
- バラエティ番組のフォーマットを内部から破壊する構造的な仕掛け
- テレビ業界のアーカイブ問題を逆手に取った巧妙な設定
- 生放送風演出による自然なリアリティの創出
- 現代の情報社会における真偽判定の困難さへの警鐘
番組は単なるエンターテイメントを超えて、現代人が直面する情報の氾濫とメディアリテラシーの重要性を問いかける深層的なメッセージを含んでいます。このような「逆転の発想」による番組制作は、今後のテレビ表現における新たな可能性を示唆する重要な作品として評価されるべきでしょう。