雪村いづみの電撃結婚と離婚の経緯。娘・孫について

昭和を代表する歌手として活躍した雪村いづみさんの私生活について、気になっている方も多いのではないでしょうか。華やかな芸能生活の裏側で、彼女は何度かの結婚と離婚を経験し、そのたびに世間の注目を集めてきました。

そこで今回は、雪村いづみさんの電撃的だった最初の結婚から離婚に至るまでの経緯、そして再婚とその後の人生について詳しく見ていきます。さらに、一人娘である朝比奈マリアさんや孫との関係についても紹介しますので、昭和歌謡界を彩った歌姫の人間味あふれる素顔に触れることができるでしょう。

ミッキー・カーチスとの婚約破棄から電撃結婚まで

  • 恋人ミッキー・カーチスとの関係に転機が訪れる
  • 運命の出会いが訪れたアメリカ公演
  • 日本中を驚かせた電撃結婚の発表

恋人ミッキー・カーチスとの関係に転機が訪れる

雪村いづみさんは1950年代後半から、当時人気絶頂だったミッキー・カーチスさんと交際関係にありました。二人は映画での共演やレコードでのデュエットなど、公私ともに良好な関係を築いているように見えました。

しかし1960年、雪村さんに全米縦断公演の機会が訪れます。不思議なことに、彼女はこの重要な渡米をミッキーさんに事前に知らせませんでした。

渡米直前にこの事実を知ったミッキーさんは慌てて婚約指輪を贈りましたが、すでに雪村さんの心には何らかの迷いが生じていたのかもしれません。当時の彼女が抱えていた母親の借金問題も、この決断に影響を与えていた可能性があります。

運命の出会いが訪れたアメリカ公演

アメリカでの公演は大成功を収め、雪村さんは当初の予定を大幅に延長して滞在することになりました。そんな中、彼女は公演先の劇場でアルバイトをしていた一人の青年と出会います。

その青年の名はジャック・セラー、当時20歳のテンプル大学の学生でした。掃除のアルバイトをしていた彼と、日本のトップスターだった雪村さんの出会いは、まさに運命的なものだったと言えるでしょう。

興味深いのは、アメリカ滞在中の4か月間、ミッキーさんからは一度も連絡がなかったという事実です。この沈黙が雪村さんの心を決定的に動かし、新しい恋へと踏み出す後押しとなったのではないでしょうか。

日本中を驚かせた電撃結婚の発表

1961年6月、雪村さんはジャック・セラーさんを伴って日本に帰国しました。そして同年8月、二人は電撃的に結婚を発表します。

この発表は日本中に衝撃を与え、マスコミは連日大きく報じました。特に、ミッキーさんとの婚約を一方的に破棄する形となったため、雪村さんは激しいバッシングに晒されることになります。

しかし当時の彼女は24歳、人生の転機を迎える年齢でした。批判を覚悟の上で自分の気持ちに正直に生きようとした彼女の決断には、若さゆえの情熱と勇気が感じられます。

結婚生活の実態と離婚に至った経緯

  • 長女マリアの誕生と家族の幸せな時間
  • わずか5年で終わりを告げた結婚生活
  • 別の男性の存在が囁かれた離婚の背景

長女マリアの誕生と家族の幸せな時間

結婚の翌年1962年3月15日、雪村さんは待望の長女を出産しました。朝比奈マリアと名付けられたその子は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.で生まれています。

イタリア系アメリカ人の父と日本人の母を持つマリアさんは、まさに国際的な環境で育つことになりました。雪村さんは母親としての喜びを感じながらも、歌手としてのキャリアも継続していきます。

しかし夫婦の間には徐々に見えない溝が生まれ始めていたようです。歌手として多忙を極める妻と、まだ若い学生だった夫の間で、価値観や生活リズムのずれが生じていったのかもしれません。

わずか5年で終わりを告げた結婚生活

電撃結婚から5年後の1966年、雪村さんとジャック・セラーさんの離婚が成立しました。まだ4歳だったマリアさんを抱えての離婚は、雪村さんにとって辛い決断だったに違いありません。

当時の日本では離婚に対する風当たりが今以上に厳しく、特にシングルマザーとなった女性芸能人は様々な困難に直面しました。それでも雪村さんは歌手活動を続け、娘を育てていく覚悟を固めます。

この時期、彼女はアメリカに三度目の渡米を果たし、活動の場を広げていきました。離婚という痛みを乗り越え、新たな人生のステージへと進んでいく彼女の姿勢には、強い意志と生命力が感じられます。

別の男性の存在が囁かれた離婚の背景

離婚の原因については、いくつかの説が語り継がれています。最も多く囁かれたのは、新しい男性の存在でした

実際、離婚の翌年1967年には、バリトンサックス奏者の原田忠幸さんと再婚していることから、離婚前から何らかの関係があった可能性は否定できません。ただし、夫婦間のすれ違いや価値観の相違など、複合的な要因が重なった結果だったとも考えられます。

結婚当時、ジャックさんはまだ20歳の学生でしたが、雪村さんはすでに日本を代表する歌手として確固たる地位を築いていました。この立場の違いが、二人の関係に微妙な影響を与えていた可能性も十分にあるでしょう。

再婚と再び訪れた離婚、そして独身を貫く決意

  • バリトンサックス奏者との運命的な再会
  • 音楽家同士の結婚がもたらした新たな可能性
  • 二度目の離婚と生涯独身を選んだ理由

バリトンサックス奏者との運命的な再会

1967年、雪村さんは原田忠幸さんとアメリカで再婚しました。原田さんはバリトンサックス奏者として活躍していたミュージシャンで、二人はアメリカで出会っています。

前夫との結婚が若さゆえの勢いだったとすれば、この再婚は音楽という共通の基盤を持った大人の選択だったと言えるでしょう。同じ音楽の道を歩む者同士、互いの仕事への理解も深かったはずです。

二人はアメリカを拠点に活動し、公私ともに充実した日々を送っているように見えました。しかし、この結婚生活も永遠には続かなかったのです。

音楽家同士の結婚がもたらした新たな可能性

原田さんとの結婚生活の中で、雪村さんは音楽的にも大きく成長していきました。ジャズやミュージカルなど、新しい音楽ジャンルへの挑戦も積極的に行うようになります。

しかし1973年、結婚から6年後に二人は別居することになりました。その後も協議が続き、正式な離婚が成立したのは1978年のことです。

別居期間中の1970年代、雪村さんは劇団四季所属の飯野おさみさんとの交際も報じられました。この関係は事実婚のような状態にあったとも言われていますが、原田さんとの離婚成立後、飯野さんとの関係も破局を迎えています。

二度目の離婚と生涯独身を選んだ理由

離婚理由については、様々な憶測が飛び交いました。すれ違いや新しい恋など、複数の要因が語られていますが、真相は当事者にしかわかりません。

注目すべきは、この離婚以降、雪村さんが生涯独身を貫く決意を固めたことです。かつては「恋多き女」とも呼ばれた彼女が、なぜそのような選択をしたのでしょうか。

おそらく二度の結婚と離婚を経験し、娘の存在もある中で、彼女は自分自身と向き合う時間の大切さに気づいたのかもしれません。あるラジオ番組では「20年以上恋愛もしていない」と語っており、歌手としての人生と母親としての責任を全うすることに専念する道を選んだことがうかがえます。

雪村いづみについてのまとめ

雪村いづみさんの結婚と離婚の歴史は、昭和という時代を生きた一人の女性の真摯な人生そのものでした。電撃結婚も離婚も、全ては彼女が自分の人生に正直に生きようとした結果だったのです。

この記事の要点を復習しましょう。

  1. 1961年、ミッキー・カーチスとの婚約を破棄し、アメリカで出会ったジャック・セラーと電撃結婚した
  2. 1962年に長女・朝比奈マリアが誕生したが、1966年に離婚
  3. 1967年にバリトンサックス奏者の原田忠幸と再婚するも、1978年に離婚
  4. 娘のマリアさんはタレント・画家として活躍し、1989年に息子・光一さんが誕生
  5. 孫との関係は良好で、2000年代には家族で同居していた時期もある
  6. 二度の離婚後は生涯独身を貫き、歌手活動と家族との時間に専念している

現在も娘のマリアさんや孫の光一さんとは良好な関係を保っており、家族の絆を大切にしながら過ごしているようです。波乱万丈な私生活を送りながらも、歌手として、母として、そして祖母として充実した人生を歩んできた雪村いづみさんの姿は、多くの人々に勇気を与え続けています。

参考リンク

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