当事者ならわかり過ぎる「場面緘黙症あるある」まとめ

学校では一言も話せないのに、家では普通に話せるという経験をお持ちではないでしょうか。周囲から「わざと話さないだけ」と誤解され、つらい思いをしている方もいるかもしれません。

そこで今回は、場面緘黙症の当事者なら思わず「これ、わかる!」と共感してしまう日常のエピソードを、学校生活から日常の困りごとまで幅広く紹介していきます。あなたの気持ちに寄り添いながら、この症状の理解を深めていきましょう。

学校生活で体験する場面緘黙症あるある

  • 授業中に感じる困難と葛藤
  • 休み時間や給食時間の過ごし方
  • 学校行事での特別な苦労

授業中に感じる困難と葛藤

先生から指名されたとき、頭の中では答えがわかっているのに声が全く出てこない経験は、当事者の多くが味わっています。口を開こうとすると体がこわばり、周囲の視線がまるで針のように突き刺さってくるような感覚に襲われるのです。

音読の順番が回ってくるときは、心臓がバクバクして手に汗がにじみます。前の人が読んでいる間、自分の番が近づくにつれて不安が大きくなり、その恐怖から逃れたい一心で時間が過ぎるのを祈るしかありません。

授業中にトイレに行きたくなっても、先生に伝えることができずに我慢し続けることもあります。帰宅するまで一度もトイレに行けず、膀胱炎になってしまったという話は、場面緘黙症の当事者の間では決して珍しくないのです。

休み時間や給食時間の過ごし方

休み時間になると、友達から遊びに誘われても「うん」という一言すら言えない状況が生まれます。心の中では「一緒に遊びたい」と強く思っているのに、体が固まって動けず、結局いつも一人で過ごすことになってしまうのです。

給食の時間は、人前で食べることへの不安から箸が進まないことがあります。おかわりが欲しくても言い出せず、お腹が空いたまま午後の授業を受けることも、当事者にとっては日常茶飯事です。

筆談や身振り手振りでコミュニケーションを試みる当事者もいますが、それすら周囲の注目を集めてしまうことが怖いと感じます。「目立ちたくない」「普通にしていたい」という願いと、「伝えなければ」という焦りの間で揺れ動く毎日は、想像以上に心を消耗させるのです。

学校行事での特別な苦労

運動会や学芸会といった学校行事は、場面緘黙症の当事者にとって特に大きな試練となります。大勢の人の前に立つだけで緊張が極限に達し、練習のときから不安で夜も眠れなくなることがあるのです。

グループ発表の準備段階では、自分の意見を言えないため役割分担から外されてしまうこともあります。本当は協力したいのに、声が出ないがゆえに「やる気がない」と誤解され、孤立感がさらに深まっていきます。

修学旅行や遠足では、班行動の際に自分の希望を伝えられず、ただ周りについていくだけになりがちです。楽しい思い出を作りたいという気持ちはあるのに、声を出せないことで思い出作りの機会を逃してしまう悔しさは、当事者の心に深く刻まれます。

日常生活における場面緘黙症あるある

  • 家族以外との関わりで起きること
  • 外出先や公共の場での困難
  • 電話や来客への対応の難しさ

家族以外との関わりで起きること

家では饒舌に話せるのに、親戚が訪ねてくると途端に口を閉ざしてしまうのが場面緘黙症の特徴的な姿です。家族は普段の様子を知っているだけに、急に話せなくなる姿を見て戸惑いを隠せず、「挨拶ぐらいできるでしょう」と促されることもあります。

近所の人に会ったとき、「こんにちは」の一言が出せずに黙って通り過ぎてしまい、後から「あの子は挨拶もできない」と言われることがあります。本当は挨拶したいのに声が出ないという事情を理解してもらえず、「礼儀のない子」という烙印を押されてしまう辛さは計り知れません。

習い事や塾でも同様の困難が生じ、先生からの質問に答えられないために学習の進度が遅れることもあります。能力はあるのに、声を出せないことで評価されない悔しさは、自己肯定感を大きく低下させる要因となってしまうのです。

外出先や公共の場での困難

お店で店員さんに話しかけられても返事ができず、親が代わりに答えることが習慣化していきます。自分で注文したり、欲しい商品の場所を尋ねたりすることができないため、買い物一つとっても大きなストレスを感じるのです。

公衆トイレを使うことへの不安も、場面緘黙症の当事者によく見られる困りごとです。誰かに話しかけられるかもしれない、音を立てて注目されるかもしれないという恐怖から、外出先ではトイレを我慢し続ける人も少なくありません。

電車やバスで席を譲りたいときや、困っている人を見かけたとき、声をかけたい気持ちはあっても実行できないもどかしさがあります。優しさを持っているのに表現できないというジレンマは、当事者の心に「自分は役に立たない」という思いを植え付けてしまいます。

電話や来客への対応の難しさ

家の電話が鳴っても、受話器を取ることができずに固まってしまう経験は多くの当事者に共通しています。相手の顔が見えない電話という状況は、場面緘黙症の人にとって特に不安が強まる場面なのです。

宅配便が届いたときも、インターホン越しに返事をすることができず、家族が不在だと荷物を受け取れないこともあります。日常生活の些細な場面でさえ、声を出すことへの恐怖が立ちはだかり、普通のことができない自分を責めてしまうのです。

友達から電話がかかってきても、楽しく話したい気持ちとは裏腹に声が震えたり、言葉が出なかったりします。せっかくの友人関係を深めるチャンスを逃してしまい、徐々に連絡が途絶えていく寂しさは、当事者の孤独感をいっそう深めることになります。

周囲の理解と当事者の心の内側

  • 「話したいのに話せない」心理状態
  • 周囲から受ける誤解や偏見
  • 適切な支援で変わる可能性

「話したいのに話せない」心理状態

場面緘黙症の当事者は、決して「わざと話さない」のではなく、「話したくても話せない」という苦しみの中にいます。頭の中では言いたいことがはっきりしているのに、いざ声に出そうとすると喉が詰まったように何も出てこない状態なのです。

この症状の根底には、強い不安や恐怖が存在しており、脳の扁桃体が刺激に過剰反応してしまうことが関係していると考えられています。話すことで何か恐ろしいことが起きるのではないかという漠然とした恐怖が、体を支配してしまうのです。

毎日「今日こそは話そう」と決意しても、いざその場面になると体がこわばり、結局話せないという経験を繰り返します。この繰り返しによって自信を失い、「どうせ自分には無理だ」という諦めの気持ちが芽生えてしまうことも少なくありません。

周囲から受ける誤解や偏見

「家では話せるのだから、学校でも話せるはず」という周囲の思い込みが、当事者をさらに追い詰めることがあります。この誤解によって、無理に話すよう強要されたり、「やる気がない」「反抗的だ」というレッテルを貼られたりするのです。

単なる人見知りや内気な性格と混同されることも多く、「そのうち慣れる」と放置されてしまうケースもあります。しかし場面緘黙症は不安障害の一種であり、適切な支援なしには自然に改善しないことが医学的にも明らかになっています。

「甘えている」「わがまま」という心ない言葉を投げかけられることもあり、そのたびに当事者の心は深く傷つきます。理解されない孤独感は、社交不安障害やうつ状態といった二次的な問題を引き起こすリスクも高めてしまうのです。

適切な支援で変わる可能性

場面緘黙症は、周囲の理解と適切な支援によって、着実に改善していく可能性を持っています。話せる範囲を少しずつ広げていく段階的な支援や、安心できる環境づくりが、当事者の回復への大きな一歩となるのです。

筆談や身振り手振りなど、本人が楽にコミュニケーションできる方法を認めることも重要な配慮です。無理に声を出させようとせず、できる方法でのコミュニケーションを尊重することで、当事者は徐々に自信を取り戻していきます。

専門家による認知行動療法などの治療法も効果が認められており、早期発見・早期支援が何より大切です。「話せなくても大丈夫」という安心感の中で、小さな成功体験を積み重ねることが、当事者の未来を明るく照らす光となります。

場面緘黙症についてのまとめ

場面緘黙症は、家庭では話せるのに特定の場面では話せなくなるという、不安障害の一つです。数百人に一人の割合で発症し、決して珍しい症状ではありません。

この記事の要点を復習しましょう。

  1. 授業中や休み時間など、学校生活のあらゆる場面で声が出せない困難がある
  2. 給食やトイレなど、日常的な行動にも大きな支障が出る
  3. 家族以外との関わりや外出先でのコミュニケーションが極めて困難
  4. 「話したいのに話せない」という苦しみを抱えている
  5. 周囲からの誤解や偏見によって二次的な問題が生じることもある
  6. 適切な理解と支援によって改善の可能性がある

場面緘黙症の当事者は、決して「わざと話さない」のではなく、強い不安から「話せない」状態にあります。周囲の理解と温かいサポートがあれば、当事者は少しずつ自分らしく過ごせる場所を広げていけるのです。

参考リンク

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