渡瀬恒彦の結婚・離婚・再婚の経緯。子・孫の現在は?

昭和を代表する名優・渡瀬恒彦さんの俳優としての輝かしい功績は、今も多くの人の記憶に刻まれています。しかし、スクリーンの向こう側で、彼がどのような家族を持ち、どんな父親だったのか、気になったことはありませんか。

そこで今回は、渡瀬さんの結婚と離婚、そして再婚という人生の転機を辿りながら、彼の家族への深い愛情と、子供や孫たちの現在の姿をご紹介していきます。激動の俳優人生を歩んだ名優の、もう一つの顔が見えてくるはずです。

渡瀬恒彦の結婚遍歴

  • 運命的な出会いから始まった大原麗子との結婚
  • すれ違いが生んだ5年間の結末
  • 再婚によって手に入れた本当の家族

運命的な出会いから始まった大原麗子との結婚

渡瀬恒彦さんの最初の結婚は、まさに映画のようなロマンスから始まりました。1970年公開の映画「三匹の牝蜂」での共演がきっかけで、当時すでにスター女優だった大原麗子さんと、まだ駆け出しの渡瀬さんは互いに惹かれ合ったのです。

明らかな格差婚でしたが、二人の愛情は本物でした。大原さんは「絶対に離婚はしませんから」と父親に約束し、引退まで覚悟していたといいます。

1973年、両家の父親の反対を乗り越えて二人は結婚しました。東京・成城に新居を構え、誰もが祝福するビッグカップルの誕生に、芸能界は沸き立ちました。

すれ違いが生んだ5年間の結末

しかし、幸せな結婚生活は長くは続きませんでした。売れっ子となった渡瀬さんは京都での撮影が多くなり、自宅に帰らない日々が続いたのです。

さらに、渡瀬さんの母親を引き取ったことで、いわゆる嫁姑問題も浮上しました。夫を支える妻の役割を重視する渡瀬家の考え方と、女優として仕事を続けたい大原さんの価値観には、埋めがたい溝があったのです。

1978年2月、二人は離婚を発表します。大原さんは声明文で「けっして憎み合って別れたのではない」と述べ、互いへの敬意を失わない別れ方は、二人の人間性の高さを物語っていました。

再婚によって手に入れた本当の家族

離婚から1年後の1979年、渡瀬さんは元OLの一般女性・い保さんと再婚しました。この結婚は、渡瀬さんにとって人生の転機となります。

い保さんとの間には、長男の暁彦さんと長女の舞子さんという二人の子供が生まれました。渡瀬さんは子煩悩な父親として、家族との時間を何よりも大切にするようになったのです。

晩年、がんで闘病中の渡瀬さんは妻へ感謝の気持ちを伝えていたそうです。2017年に渡瀬さんが亡くなるまで、い保さんは38年間、献身的に夫を支え続けました。

離婚後も続いた大原麗子との絆

  • 別れても消えなかった想い
  • 2004年の再会が語る真実
  • 最期まで忘れなかった元妻への配慮

別れても消えなかった想い

注目すべきは、渡瀬さんと大原麗子さんの離婚後の関係です。二人は別れた後も互いを尊重し合い、良好な関係を保ち続けたのです。

大原さんは離婚後、歌手の森進一さんと再婚しますが、その結婚も長くは続きませんでした。晩年の大原さんは、周囲に渡瀬さんへの変わらぬ想いを語っていたといいます。

一方の渡瀬さんも、大原さんを見守り続けていました。仕事が減少していく元妻を気遣い、時には声をかけることもあったそうです。

2004年の再会が語る真実

2004年、渡瀬さんが主演していた「十津川警部シリーズ」に、大原さんがゲスト出演する機会がありました。プロデューサーから提案を受けた渡瀬さんは、妻のい保さんに相談したところ、「そんな小さいこと忘れているからいいわよ」と快諾してくれたといいます。

撮影中、渡瀬さんは自分の出番がなくても、元妻のそばで気遣いを見せ続けたそうです。その姿に、かつての夫婦の絆が垣間見えたのではないでしょうか。

興味深いのは、撮影後の大原さんの反応です。オンエアを見た大原さんは「私のほうが老けて見える。悔しい!」と語ったといい、この言葉には元夫への複雑な想いが滲んでいたように感じられます。

最期まで忘れなかった元妻への配慮

渡瀬さんの元妻への配慮は、大原さんの死後も続きました。2009年に大原さんが62歳で亡くなった後も、渡瀬さんは定期的に法要に参列していたのです。

2015年8月、渡瀬さんががん告知を受ける直前に、大原さんの七回忌法要に姿を見せていました。その日は猛暑日で、すでに体調が悪かったにもかかわらず、元妻への想いは変わらなかったのです。

芸能界では珍しいほど誠実な離婚後の関係は、渡瀬さんの人間性の深さを物語っています。愛し合った人への敬意を、生涯失わなかった姿勢には、学ぶべきものがあるのではないでしょうか。

子供たちの現在と渡瀬家の今

  • 長男・暁彦が選んだ映像の道
  • 長女・舞子のキャリアウーマンとしての人生
  • 「じぃじ」が愛した孫娘の存在

長男・暁彦が選んだ映像の道

渡瀬さんと妻・い保さんの長男、暁彦さんは現在TBSでディレクターとして活躍しています。父と同じ映像の世界を選んだものの、俳優ではなく裏方の道を歩んだのです。

実は渡瀬さんは、子供たちが芸能人になることを強く反対していました。「この仕事は努力の方向性がわからない」と語り、不安定な芸能界で苦労してほしくないという親心があったのです。

暁彦さんは父親のディレクション能力を間近で見て育ちました。「個性とは、自分を殺して殺してやって、それでもにじみ出るものだ」という父の言葉を胸に、映像作りに情熱を注いでいるといいます。

長女・舞子のキャリアウーマンとしての人生

1981年生まれの長女・舞子さんは、芸能界とは全く異なる道を選びました。現在は結婚式関連の会社「レバノーゼ」において、人材育成を担う役職に就いています。

渡瀬さんは週に一度、必ず家族揃って食事をする時間を作っていたそうです。多忙な撮影スケジュールの中でも、この習慣だけは決して欠かしませんでした。

また休日にはキャンプに出かけ、「父親の威厳を示せる絶好のチャンス」と笑いながら、子供たちとの時間を楽しんでいたといいます。そうした思い出が、舞子さんの人間性の基盤を作ったのかもしれません。

「じぃじ」が愛した孫娘の存在

渡瀬さんには、愛してやまない孫娘がいました。2010年に長男の暁彦さんが元モデルの原田沙奈子さんと結婚し、2015年に生まれたのが「あまね」ちゃんです。

孫の誕生は、渡瀬さんに新たな喜びをもたらしました。あまねちゃんは「じぃじ」のことが大好きで、渡瀬さんも満面の笑みで孫を見つめていたそうです。

晩年、がんと闘いながらも、渡瀬さんは孫との時間を大切にしていました。家族写真を撮る時には、1時間もレンズ越しに家族を見つめ続けたというエピソードが、彼の家族愛の深さを物語っています。

渡瀬恒彦の家族についてのまとめ

渡瀬恒彦さんの人生を辿ると、俳優としての輝きだけでなく、家族を愛した一人の男性の姿が浮かび上がってきます。二度の結婚、離婚という経験を通じて、彼は真の家族愛を見つけたのかもしれません。

この記事の要点を復習しましょう。

  1. 1973年に女優・大原麗子さんと結婚するも、価値観の違いから1978年に離婚
  2. 1979年に一般女性のい保さんと再婚し、2017年に亡くなるまで添い遂げた
  3. 長男の暁彦さんはTBSでディレクターとして活躍中
  4. 長女の舞子さんはブライダル企業で人材開発部長を務める
  5. 孫娘のあまねちゃんは2015年生まれで、渡瀬さんに大変愛されていた
  6. 大原麗子さんとは離婚後も良好な関係を保ち、最期まで元妻を気遣い続けた

子供を芸能界に入れなかった判断、週に一度の家族団欒、病床でも家族を想い続けた姿勢、これらすべてが渡瀬さんの人間性の素晴らしさを物語っています。俳優としての功績と共に、家族を深く愛した一人の父親、祖父としての姿も、私たちの心に刻まれていくことでしょう。

参考リンク

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